haruga1banの《対マルの準》マルチ商法攻略で副収入 
元金\19,800で毎月収入\30,000

管理人(haruga1ban)プロフィール
1943年06月 東京都八王子市出生
1965年04月 石川島播磨重工業(株)入社
1968年08月 同社退社
1968年9月 デザイン学ミニコミ研究開始 以後4年間
1970年06月 (株)タカラ 商品開発室委嘱デザイナーに入門りかちゃんハウス(1号〜3号)ハウス開発デザイン担当、(株)小松製作所・ヤシカカメラ・コカコーラ・銀座アスター・第一製薬等の一般販促ツール企画デザイン提案担当
1972年12月 独立 デザインルーム(直)設立ミニコミ紙の研究世田谷区広聴紙、編集担当(2年間) 広報ポスター・パンフ・冊子等企画デザイン
1973年04月 品川区広報紙、編集デザイン担当(以後28年間)
1974年04月 品川区議会広報紙、編集デザイン担当(以後27年間)
1975年04月 大田区議会広報紙編集デザイン担当(以後25年間)
1978年10月 デザインルーム(直)改め、(株)K&Mデザイン研究所設立
1984年06月 大日本印刷(株)とタイアップNHK番組宣伝用ポスター企画デザインコンペ多数合格受注 (以後、朝ドラ・大河ドラマ・スポーツ教室・医学・健康 番組・日本伝統工芸番組等の印刷関係媒体の企画提案制作 
(2001年まで)
1986年12月 (株)第一生命の販促用PR紙「あい」のコンペ合格(1987年度より4年間編集デザイン継続担当)
1987年04月 (株)読売広告社・(株)総芸等とタイアップ(マンション)販促ツール用図面製図会社(株)K&M Co.,Ltd.Philippineをフィリピンに設立同年日本大手ガラスメーカーとタイアップ、ファイバーグラス工業用素材のフィリピン向け輸出開始
1991年11月 ラモス フィリピン大統領(当時)と面会叶う、小資本(150万円)で出来る商業パターン提案(小口投資の奨励)
2001年09月 現役引退 同時にフィリピンにあった4会社の中、3会社閉鎖 フィリピン側貿易部門受け持ち会社1社のみ継続
2003年02月 在フィリピン日本大使館が認める唯2つの会組織(フィリピン日本人会・マニラ会)の中、 フィリピン 「マニラ会」 理事就任
2005年01月 理事退任2005年05月最後のフィリピン法人1社閉鎖 全職引退
現在に至る
2005年10月 パソコン独学開始
2008年01月 ホームページSEO対策1年研究 
2008年02月 WEBビジネス界にharuga1banの《対マルの準》を仕掛け中

マニラ会・・・フィリピンに移り住み、何かしらの事業を運営されている人たち、日本国内で退職され、悠悠自適な環境を求め移り住んでいる方々、又血縁者の介護を少ない自分の経済力でも十分出来るようにと常夏で物価の安いフィリピンを選び、仮の場所として移り住んでいらっしゃる方々、そのような方々が趣味を共有できる友を求めて集い、ビジネスの情報を求めて集い、時には、緊急時、日本大使館からの正確な情報を求めて集まる。

マニラ会の事務局レベルでは理事会・会員代表の委員会等を設け会員の問題点を常に研究し、出来れば解決に結びつけばと、努力に絶え間がありません。その中の1つに、正式に日本の国籍を持ちながら、日本語が上手く話せない。が故に、日本人学校に入学できないという子供たちが沢山いるのです。そのような子供たちにもマニラ会は支援を続けております。それが「子供学園」の運営です。管理人は担当理事でありました。

なかには、会の外に向け、フィリピン社会と何らかの接点をとお世辞にも綺麗とは言えないフィリピンの、特に人の沢山集まる場所を選び、日本人会と連携しながら、少しでも彼らの美意識向上の啓蒙に役立てばの気持ちから清掃ボランティア活動もやっております。又日本人が以前大量の材木を輸入してしまって沢山の山が禿げ上がってしまった。これを鑑み、かつて大使を歴任された方が退官後、フィリピンに移り住み、何十ヘクタールもの土地使用権を買い取り植樹活動をされている。その活動をも日本人会と連携して支援しております。